2017年02月08日

まさか、こんなことが

先日、いつものように内功(坐って全身に気を巡らす行)を行っていた。
気持ちの良い静電気に包まれたようで、意識が深まるに従い、まるで電圧が高まるように全身が気持ちよく痺れていった。
やがて性器の周辺に性的な快感が発生し、たとえようもない多幸感を感じていたら、涙が出てきた。

別に、多幸感と言ってもうれし涙が出るほど、何かが嬉しいと感じていたわけでもない。
もちろん悲しいことがあったわけでもない。
自分が提唱する内功は、姿勢は瞑想と同じでも、何かを視覚化したり思い出したり考えたりするようなことはしない。
むしろ、無念無想の禅に近いのだ。
だから、このときも、とりたてて何も考えていることもなく、ただ、感覚だけに身を任せていた。

「なんとまあ、人間の感情とは不思議なものだな」と思っていたら、昔読んだカルロスカスタネダの一節がフラッシュバックのように思い出された。

ちょっと引用してみる。
ーーー「呪師になる」より引用ここからーーーーーー
それは、わたしにとって全く新しい感覚だった。
思考が停止したような感じがした。
幸せだった。
健康な感じがした。
情熱がとても静かにゆきわたって、わたしのなかに充満した。
そよ風が西から吹き、からだ全体をなでてゆき、寒さもなかった。
ぬるま湯のしずかな波が、わたしのからだに寄せては引き、また寄せてくるように、顔と耳のあたりにそよ風を感じた。
自分のあわただしく、混乱した生活には比べるものもない、不思議な状態だった。
わたしは思わず泣いてしまった。
それは悲しさとか自分への哀れみからではなく、言いようも、説明のしようもない喜びのせいだった。

わたしは、永遠にそこにいたかった、、、、
ーーーーーーーーー引用ここまでーーーーーーーーーーーーー

カスタネダは、生命エネルギーが身体に流れる感覚を、風や、そよ風に例えているが、インディアンの呪術においても、生命エネルギーを使って、このように自己ヒーリングに用いることがあるのだろう。
まさに、自分の体験した状態を美しく詩的に表現したらこのようになるのだろうなと思った。

ちなみに、カスタネダはこの後、師であるドンファンより、「おい、もう十分休んだぞ」と、引き起こされてしまうのだが、、。
posted by ポンタ at 21:25 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2016年11月03日

夢見の行を実践するその1

このブログではあまりない(笑)、行の実践面についての記事となる。

神秘行としての夢見の入口はとても広い。
なにせ、寝っ転がっての行だから、瞑想行などのように手足や背中が痛くなることもないし、動功などのように疲れることもない。
意識を集中する必要もない(眠りに入ればよい)。

とはいえ、出口は狭い。
結果として最終的に求めるものは、瞑想による行と同じく、生死すら越えた超意識に目覚めることだからだ。

さらに、ある環境にある人たちにとっては、夢見の修行は瞑想よりも易しく、日常を越えた超意識へと導いてさえくれる。
「ある環境」とはズバリ、このようなものだ。

*睡眠不足にならないよう、十分な睡眠時間を毎日のように取れる人。
*(できれば)昼眠ができる環境にある人
*生命エネルギーがたっぷりある人(睡眠の深さと生命エネルギーは比例する)
*周りの騒音なども無く、体の痛みや不快感なども無く、熟睡できる生活環境、健康状態にある人

上記のような条件を満たせない人たちは(学生でもない限り大多数の人には難しい、苦笑)、残念ながら夢見行を極めることはできないだろう。
夢の世界で遊ぶという楽しみを満喫するには条件が必要なのだ。
とはいえ、神秘行そのものまであきらめる必要は無い。
その他の行によって、超意識を目覚めさせることは可能だ。

それが、陽気を発生させて小周天や、大周天を行ったり、漢方薬や食養法を行うことや、整体や動功を行うことにあたる。
記事の流れの都合で、これら補助行や動功、整体については詳しく触れることができていないが、苦笑。


posted by ポンタ at 21:55 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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