2016年10月27日

仙道と快感の関係(夢の中で仙女と会う?)後編

まずは、「仙道錬金術房中の法」の一節から。
ーーーーーーー引用ここからーーーーーー
私は現実生活では、毎日、一人でツクネンと行に励んでいた。
まったく女っ気など無かった。いや、人さえ滅多に訪ねてこなかった。

ところが、先にも書いたように、夢の中にはしょちゅうう女性が訪れてきていたのである。
ただの女性ではない。美しく健康的で、しかも気のパワーに満ちあふれた女性たちだ。
あんな女性は現実では見たこともないといっておく。
しかも、現実の女性のように、触れるとはっきりとした触感さえあるのだ。
中略
これが仙女(アニマ)であることに気付きだしたのは、彼女と手をつなぎ合って気を回し合うという、仙道独特のトレーニングを始めたからだ。
中略
もっと関係が進んでからは、ズバリ、セッ○スまでいったこともある。
この場合、体交法の房中術を行う。
最高のエクスタシーに達するが、時間は永遠とも言えるくらい長く続くのだ。
ーーーーーーーーー引用ここまでーーーーーーーーーーーーーー
上の引用文と前回の記事の最後の部分を対比してみると興味深い。
人から離れた環境で、禁欲し、異性の存在を強く意識するという共通点がある。

あらわれてくる異性のイメージ(物質化の度合いは様々だが)は、結局、同じものなのではないだろうか。
本人の意識と、気の練れた度合いによって変わっていく。

とはいえ、「この修行を行うときのコツは、暇さえあれば寝ることだ」という、高藤氏の言葉に尽きる。
睡眠時間や、睡眠の環境が自由にならない人にはできない修行なのだ。

高藤氏は、夢のコントロール法を、夢の中で異性に出会うための方法とし、かつてとある男性誌に投稿したことがある。
男性誌のタイトルは「モモコ」という雑誌だった。
このような感じの記事であった。
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HI3B0013.jpg
HI3B0012.jpg
高藤氏の「夢見術入門」と重複する部分もあるが、次回より、実践内容をかいつまんで紹介したい。

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2016年10月12日

仙道と快感の関係(夢の中で仙女と会う?)中編

前回記事の続き。
個人的には、夢のコントロールで、夢の中で仙女を出現させて、行為をしたいとは、現段階では思っていない。


なぜなら、相当に行が進まない限り、夢の中にでてくるのは、仙女(アニマ)ではなく鬼女だからだ。
高藤氏に言わせれば、「たいして行に励んでいなくても、あまりにアニマばかり求めると、ひょいと出現することがある」という。

前出の「仙道錬金術房中の法」には、本物の仙女とニセモノを見分けるチェックポイントが書かれている。
ーーーーーーー引用ここからーーーーーーーーーー
*毎日、行に励んでいないのに出てくる。
*行の段階が非常に低いのに出てくる。たとえば、仙道の段階でいえば、小周天くらいでだ。
*ごく普通の状態、つまり日常生活の場に出てくる。
*自分の目先の欲の充足のため、やたらに出てくる。
*はっきりした言葉をしゃべる。それが普通の人の話し声のようにきこえる。
*出現した仙女(アニマ)と、セ○クスなどをすると精が漏れてしまう。
(これは、鬼交という。いわゆる夢精だ。本物の仙女の出現の場合、絶対こんなことは無い)
*交流しても全然パワーがつかない。うきうきするような感じが無い。人が寄りつかない。

以上のチェックはかなり厳しく、ひとつでも該当したら、まがいもののアニマ、アニムスに取りつかれていると考える。
ーーーーーー引用ここまでーーーーーーーー

言うまでもなく、ニセモノの仙女(アニマ)と交流するということは、精は漏れ、自分の生命力を消耗させる。
そして、チェックポイントの最後の項目にあるような状態が悪化していく。
心も病んでいく。
最悪の場合は、、、。
これについて、「素女経 」という中国の房中術の原書で恐ろしい文章をみつけたので、紹介したい。
こちら
25節の「断鬼交」という項目を見てもらいたい。
これは、原文の直訳なので非常に分かりにくい。

「房中術と強精強壮薬」という本には、同じ部分について、非常に分かりやすい翻訳文があるので、長いが引用させてもらった。
(差しさわりがあるので少し表現を修正した)
ーーーーーーーー引用ここからーーーーーーーーーー
采女:鬼交という病気はどうして起こるのですか?

彭祖:それは、陰陽、つまり男女が交わりたいという思いが強いのに、それができないようなとき、鬼が人の姿を借りて相手をするのである。
この鬼との性交は、人間同士のものよりも快感が大きい。つまりイイのだ。
長い間鬼と交わっていると、すっかりその虜になって、他人にはそれを隠す。
だから、いつの間にかひっそり息を引き取ってしまい、誰もそのわけを知ることはできない。

この、怖い病気にかかったら、例えば男なら、決して精を漏らしてはいけない。
これを守って、昼夜休みなく行うと、重傷者でも、七日も経たぬうちに必ず治る。
体が弱っていて、押さえがきかないときは、深く挿入するだけで動かないことだ。
こうして治さないと、数年のうちに、危険なことになる。

信じられないなら、春か秋、深い山か大きな沢に入って、何もせずにただセ○クスの事だけを考え続けてみることだ。
三日三晩たつと、寒気がして発熱し、胸苦しくなって目もくらみ、やがて男は女の姿、女は男の姿を見るようになる。
そこで交わると、人間相手よりずっと素晴らしい。
しかし、必ず病気になる。それも難病なのだ。
ーーーーーーーー引用ここまでーーーーーーーーー

なにやら、山小屋に一人で泊っていたら、深夜に見知らぬ美女が訪ねてきて云々というような、「雪女」など、山の怪談話を思い出させる内容でもあり、恐ろしい。


とかなんとかいいつつ、いよいよ次回は、予告通り、高藤氏が某男性誌に投稿した「夢の中で女性を抱く方法」なる、びっくり仰天記事を紹介したいと思う。
ではまた。
posted by ポンタ at 20:46 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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仙道と快感の関係(夢の中で仙女と会う?)前編

高藤聡一郎氏の学研から出版された著作シリーズ中、個人的に最も評価している著作「仙道錬金術房中の法」の中に、氏が夢の中で仙女に会い、体交法(いわゆる普通のセ○クスの事)を行ったという記述がある。

その時の快感の描写である。
ーーーーーーーーーー引用ここからーーーー
最高のエクスタシーに達するが、ただし、時間は永遠とも思えるくらい長く続くのだ。
だが、精は漏れず、翌日は気を回し合った時より、さらに充実した感じになった。
実に不思議に思ったものだ。
ーーーーーーーー引用ここまでーーーーーーーーー
普通の肉体ではない状態(体外離脱中)でのセ○クスの快感についての描写は、ロバート・モンロー氏も著作で報告している。
「耐えがたいほどのエクスタシーが続く。これに比べれば通常の性行為のエクスタシーは影のようなものだ」という。

ロバート・モンロー氏の体外離脱は、仰向けに寝た姿勢から行うモノなので、ある意味、覚醒夢と言えなくもないのではないかと、個人的には考えている。

普通の健康な男が、もし、「願いがなんでも叶う空間に存在できたら」何を願うだろうか。
言うまでもない。
そのような男としての当たり前の無意識から発する欲望が、上のような体験を生みだすのだろう。

だが、個人的には、夢の世界(リアルなので異空間と呼んでもいい)で女性と行為をしたいとは、現段階では思っていない。

次回、中編では、この行の危険性について書こうと思う。

そして、今から予告するが、最後の後編では、氏が昔、とある男性誌に投稿した「夢の中で女性を抱ける。夢のドリームコントロール」なる作品?に対して書こうと思う。


次回投稿の後編に続く。

posted by ポンタ at 20:28 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2016年10月11日

瞑想と快感の関係その2

前回は、チベット密教の観相法が、ズバリ快感を発生させ、コントロールしていく行法なのだというような内容を書いた。
しかし、自分で読み返してもわかりにくく、さっぱり意味がわからない。
文章を書く能力も、行法の程度もたいしたものではない、自分の浅学非才ゆえだ。
申し訳ない。

チベット密教の瞑想法を解説した本の中にも、「性的な快感を利用した瞑想法もあります」と明記してある本もある。
具体的なやり方は書かれていないが、笑。

さて、チベット密教の快感発生法(笑)は、もっぱら自分の生命エネルギーを使う。
生命エネルギーすなわち、精力といっていい。
つまり、精力が枯渇している老人や、身体が弱くて精力が消耗している人は、あまり効果は無いと言える。
この点においては、地丹法(食養法、漢方療法、強精法)を修行体系に含む仙道の方がとっつきやすいと言える。
ただし、仙道でいうところの動功法に相当する行法は、チベット密教にも「トンラ」という名称で存在する。

仙道における、動功法は一般的な「気功」として、巷にあふれているし(いわゆる気功体操)、静功法(小周天)は気功法の本の最後にもったいぶって書かれている。
地丹法はというと、これは多くの場合秘伝だ。

対して、チベット密教では、トンラも観相行も秘伝だ。
そもそも、性エネルギーをコントロールするような奥深い観相法は、滅多なことでは伝授されないとある。
本で公開されてあったとしても、師伝でなければ効果は無いとある。
また、お目当ての快感瞑想(笑)を行う前に、前行と称する煩雑な行法をえんえんと何万回も行わなければならないともある。

これはある意味、チベット密教のラマの権威維持のために、上の段階の行法を教えないという言い訳にも聞こえてしまう。
そういった風潮は、チベットと日本くらいで、他の国(中国や、アメリカ)では、かなりルールもゆるんでいるらしい。

今日も取りとめのない駄文になってしまった。
また次回。
posted by ポンタ at 23:23 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2016年10月10日

瞑想と快感の関係その1

前回まで、仙道の修行を行っていて、ある程度の段階になると「快感が発生する」というシリーズの記事を書いた。
今回は、仙道以外の瞑想修行ではどうなのか?という点で記事を書いてみた。

まず、頭に浮かぶのは、「チベット密教」だ。
良く知られている、チベット密教の観想(イメージ)法は、まさにズバリそのもの、男女が行っている行為そのものを使う。(無論、自分ではなく、チベット密教の高位のラマが行為を行っていると観想するのだが)

あろうことか、頭頂に浮かんでいるラマの行為によって発生した体(愛液)が自分の頭に流れ落ちて来て、自分の身体が浄化されるという内容で観想を行う。
無論、巷にあるチベット密教の観想法を書いた本には、直接「快感が発生する」とか「気持ちよくなる」とは書かれていない。
密教だけあって、わかりにくく隠語的に書かれているのだ。
たとえば「歓喜」とか、「大楽」とか。
なにせ、チベット密教の観想法の教本では、精液さえ、「菩提心」などという隠語で書かれているのだから。
男性性器は「金剛宝」、生命エネルギーは「ルン(風)」と呼ぶ。
この「ルン(風)」は、まさに仙道でいうところの「気」にあたる。

ある本では「四歓喜」という四つの歓喜があるという。
すなわち、「歓喜」、「最勝歓喜」、「離喜歓喜」、「倶生歓喜」という。

これらの隠語を念頭において、チベット密教の観想の内容を見て行くと、高藤氏が「仙人瞑想法」において、さらりとしか書いていない、全身周天の中で快感を発生する方法がより具体的になってくる。

というわけで、今回はここまで。

posted by ポンタ at 21:20 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2016年10月09日

仙道と快感の関係(その8)個人的な体験談4

長年のブランクを経て、ある事件をきっかけとして仙道修行を再開した。

もうすっかり、陽気の感覚も忘れ、小周天ルートも詰まってしまったかと思いきや、そんなことはなかた。
なぜかはわからないが、以前より陽気の熱感がいきなり強い。
いきなり陽気を一周回せてしまった。

たしかに、一度陽気の感覚を体得すれば、静坐をしていないときにも、日常の何気ない動作中に身体のあちこちで気感を得ることはあった。
そういった感覚はすなはち、無意識のうちに気を練っていたということなのかもしれない。

そんなこんなで、毎日帰宅しては気を回していた。
すると、小周天ができなくなった。
どういうことかというと、陽気を発生させるとほぼ同時に頭頂にも気を感じ、小周天のルートではなく身体全体が一本の気のルート?になってしまった。
しかし、高藤本やその他HPなどの体験談にあるような、華々しい(笑)、あるいは派手な気の上昇や爆発があったわけでもなんでもない。
あるとき自然にそうなったのだ。

以後は、小周天をやろうとすると、わざわざ気を細く縮小させて部分的にだけ感覚を使って行わねばならなず、めんどいので、もっぱら太い気を身体全体にいきわたらせるだけの行に切り替えた。
(体調が悪い時や、精を漏らしてしまった翌日は、昔のような細い気の流れになってしまい、いつもの小周天が行えることにも気付いた、苦笑)

このやり方をやって1〜2カ月くらいたった頃、頭頂の気がムズムズモゾモゾする感覚から、ビリビリと静電気に感電するような感覚になった。
今度は、その電気?のようなものを身体の前面から丹田に下ろして集め、温養するということをずっとやっていた。
やがて、身体全体は内部は磁力がかかったように中心に向かって引き込まれるように感じ、身体の周りは静電気で包まれているように感じ、うっとりしてきた。
いやなことは、何一つ浮かんでこないし、息を止めても苦しくならない。
(息を止めているのは、怖くなったのでしばらくしてやめた)

この感覚は眼を開けても消えなかった。
やがて困ったことが発生した。
イチモツの先端が電気で痺れたようになり、ピクピクと収縮を繰り返すのだ。
やがって勝手に起立しだした。
「これでは集中できないじゃないか。どうなっているんだ?何かおかしくなったのか」
と、当初は心配してしまった、苦笑。
こんなヘンテコリンな感覚が身体に発生してしまうと、やっぱり、心配になってしまう。

この時点で、いろんな仙道書を引っ張り出して読み返していくうちに、「なるほど、これは、気感がここまで強くなったのだ」と、やっと納得した。
読んでいくだけの時は、見逃していたり見落としている内容が沢山あり、体験して体得する内容は、その都度原点に立ち返ることが必要なのだと知った。

ここから、行の最中はイチモツの収縮と起立に悩まされることになる(笑)
が、それも一週間くらいのことで、やがてイチモツは起立しなくなった。
起立はしないが、なにやら先端からむずがゆい。
(変な病気か?とも思ったが、身に覚えは全くない)
やがてそのむずがゆさは、「ああ、これは快感が発生するときの前兆なのだ」と理解できた。
思った通り、イチモツの先端から発生したむずがゆさは快感となり、やがて身体全体に広がった。

この状態で発生する快感は、ネットでよく見かける「エナジーオーガズム」とはことなり、PC筋の収縮は必要ないし、深呼吸も必要ない。
必要なのは、陽気を強化し練ることと意識の集中だ。
そして、この快感は通常のものとは異なり、途切れることなくつながっている。
まるで、うねるように強い快感と弱い快感が交互に継続していく。
体調の悪い時はうまくできない。
(生体エネルギーを使っているのだから、これが当然で。いつでもどこでもできるとしたら病気だ、笑)


さあ、拙いヘボ仙道の体験談はこれで終わりにしよう。
次からは、仙道以外で、瞑想オーガズムの話題を取り扱う。
posted by ポンタ at 10:22 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2016年10月08日

仙道と快感の関係(その7)個人的な体験談3

前回の記事は、やっとこさっとこ小周天がつながった話題であった。
今回はその続きとなる。
とはいえ、今回の記事では、修行の内容は直接出てこない。

小周天が一応回ってから、職場の関係で行の時間が取れなくなり、数年間のブランクとなる。
その間は、仙道を忘れていた。
あまりに、仕事でいっぱいいっぱいで、そのまま人生は進み続けてしまうのだろうと思っていた。

ところが、9年くらいもの長いブランクを経て、ふとしたきっかけで行を再開した。
そのきっかけとは、自動車とニアミスした事件だった。

夕方、近所のスーパーに買い物に出かけた時の事だ。
四つ角の交差点(信号無し)で、自分に向かってきた対向車が突然、ウインカーを出さずに自分の方に曲がってきたのだ。
相手にしてみれば、いつもの道で面倒くさいからウインカーなんて出さずに右折したのだろう。
車が自分の身体ギリギリにまで来たとき、とっさに身体を思い切り前に投げ出し両手をついてから、身体を丸めて回転していた。
何事もなく立ちあがった自分を見て、車の運転手が慌てて降りてきて、「大丈夫ですか!」と聞いてきた。
自分は、「はい、なんともないですよ」と言い、そのまま立ち去った。

後から思い出していた。「これは、中学生のころ部活で柔道部にいた時に練習した。回転受け身じゃないか」
子どもの頃(学生のころ)一所懸命やって身体で覚えたことは、忘れないものなのだと思い、なぜか涙が出てきた。

一生懸命覚えたことは、無駄にはならない。
柔道がそうだったように、仙道もしかり。
「また、やってみよう。仙道を」

自分にとって、仙道は(仙人を目指す事は)まだ、生活にも人生にも余裕があった頃の、楽しくわすれがたい宝物なのだから。

そうしてまた、忙しすぎる仕事の合間をぬって、修行を再開することになる。

今回こそ、つまらない記事で申し訳ないです。

posted by ポンタ at 21:29 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2016年10月03日

仙道と快感の関係(その6)個人的な体験談2

ヘボな体験談の続き。

通常のやり方とは間逆の、リラックス(ぐうたら)修行で小周天の後半のルートから気が回り始めたのが、前回のお話。

さて、今回は、残り半分のルートを回す話題。

回したモノが単なる錯覚ではない、本物の気であるかどうかは、その感覚が丹田に戻ったとき、熱感を感じるかどうかだ。
果たして、その静電気のような感覚は、印堂から下がった感覚は丹田に戻ると熱感になった。
というわけで、仙道修行の初歩の半分ができただけで有頂天。

ここまで来ると、なんとしてでも残り半分を回してやるぞと、多分、人生で一番修行いそしんだ、、、爆笑。

コウモンの収縮を繰り返して熱感を尾てい骨に導き、強く意識をかけて背中にそって上げていった。
後頭部の熱感は微かだったが、そのすぐ後に、頭頂にアリかクモが這っているような感覚が発生し、何度か手で払ったりした。
気の感覚とは、脳に近い部分ではこのように感じるものだと初めて理解した。
泥丸に気を集めて意識をゆるく集中していくと、頭の中が微かだけどもハッカ(ミント)の葉が入っているかのようにスカスカする感覚が発生した。

そしてまた、印堂(ミケン)を通して気を下ろしていくときには、印堂から鼻にかけてくすぐったくてたまらなく感じ、さらに下がると舌が乾電池をなめた時(爆笑)のようにピリピリと感電した。
舌から下に動くときには、微かな圧力感のみになり、丹田に戻ると再び熱感となった。
これにより、小周天が一周つながったのだ。

もっとも、こんなのは仙道修行の出発点にしかすぎなかったのだが、その時はまだ何もわからず、ただ嬉しかった。

続きはまた次回に。
posted by ポンタ at 22:04 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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