2017年06月25日

夢で仙人と会う話(その2)


わけあって書名は伏せさせていただくが、とある本に載っていた、夢で仙人に会う話の続き。

内容ここから
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
実際、私にはこの問題はよくわからなかったし、それから数年たつまで追求することもしなかった。
私の滞在の終わり近くになって、ちょっと異例とも思えるような出来事が起こった。
下道士が約束したように、仙人呂洞賓が私の夢の中に現れたのである。
夢はまことに鮮明で、また長く続いたけど、私下道士に会った時には、ごく短い一部分を除いては、もう思い出せなくなっていた。

夢に出てきた人物は、薄くひげを生やした、ハンサムな若者で、道観に安置されて像から判断して、すぐにそれと分かった。
彼は哄笑しながら、私を迎えた。
彼の陽気さはこちら側にもうつり、私も笑いだした。
どんな言葉を使ってしゃべり合ったか思い出せなかったが、さして重要でもないいくつかの言葉だけは、はっきり記憶に残っていた。
「来たね」と彼は言った。
「ええ、そうです。でも、どうやってここに来たのでしょう?」
「それはたしたことじゃない。そうだろう?とくに、きみはここにいるべき者じゃないのだからね。」

私たち二人は再び大笑いした。それから、彼はこう付けくわえた。
「それは簡単なことじゃないかね。ここから見ていると、すべてが簡単だよ。私が助言したいのは、遠い経路を取れということだ。」

私は大変興奮して、朝食前に下道士のもとに駆けつけ、どう解釈すべきか問いただしたが、自分がどれほどわずかしか夢を覚えていないかを思い知らされるだけに終わった。
彼はまるで責め立てるかのような表情で、仙人の助言が何に言及したものかを考えだそうとしたが、それも無駄だった。

私の同所滞在の驚くべき瞬間は、この夢の直接的な結果として起きた。
私が道観を立ち去る前日の早朝、口数は少ないものの陽気な気分らしく見えた下道士は、私を散歩に誘い出した。
過去数日間の雨と霧はすっかり晴れ上がり、降るような陽光が頂上にかかった白い雲を貫いてさしていた。

中略

角を曲がると小さなくぼみがあり、そこに庵がただ一軒建っていた。
母屋に隣接した差掛け小屋から煙が立っているところを見ると、荒れはててはいるが、どうやら人が住んでいるらしかった。

「友よ」と下はもったいぶって言った。「あなたはいま、年若くしてすでに仙人と見なされている人物、玄門仙人をご覧になろうとしています。」

道家の人々が言う「仙女」もしくは「仙人」という称号は一般に、ある程度の希望的観測を表すものと受け取ってよく、したがって私には、本当に驚くべき人物に会うための心の準備は全くできていなかった。
ーーーーーーーーーーーーー
内容ここまで。

カルロスカスタネダの「呪術師と私」がインディアンの呪術を取り扱ったフィールドワークの書であるならば、今回紹介したものは、文化大革命によって破壊される前の道教を取り扱ったフィールドワークの書だ。

そこには、ただの空想物語ではなく、著者が実際に調査して見聞した、不老不死の修行を実践する道士たちの様子が描写されている。
他にも、房中術により金丹を生成し、肉体の転換をおこなう修行を行っている道士、深山で瞑想を行い続ける隠者との見聞録が続く。

いずれまた稿を改めて紹介することもあるかもしれないが、一旦ここでまた話題を変えることにしたい。



posted by ポンタ at 14:15 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村