2016年09月26日

仙道と快感の関係(その4)「仙人になる法」に載っていた体験談の続き

高藤聡一郎著「仙人入門」の後半に載っていた、台湾の学生による小周天修行の体験談の最終回である。

ーーーーーーーー引用ここからーーーーーーーーー
3月24日
午前中、3時間目と4時間目(学校の授業時間)に気を黄庭に引き入れたところ、ひどい目にあった。
誰か、こっそりと僕を助けてくれないかとさえ思った。

3月26日
午後、静坐を始めた。
初め、気は湧泉と手の指先に達した。突然イチモツがムズ痒くなり、やたらいい気持になった。
まるで、イチモツを挿入しているようで、妙ちくりんでしかたなかった。
何度も失神しそうになり、とてもコントロールできない。
ただ、丹田から意識を外さないでいたら、なんとか射精にはいたらなかった。
でも、とてもワンダフルだ。
初め、熱の塊りはコウガンの中を動き回り、イチモツは時に聳え、時に倒れ、10数回出ようか出まいか争ったのち、ようやくおとなしくなった。
暖かい気の塊りはコウガンより流れ出し、会陰のところから左右の腿に入った。
左腿の方が、流れたのが多く、右腿は、わりにすくなかった。
長いこと散らないので、僕は、ずっと丹田に意識をかけていたのを、ちょっと会陰の方にかけてみた。
熱気が流れてきている場所のせいか、細胞が踊っているようだ。
気分のいいことこのうえない。

3月27日
夕方、弟が焚き火をした。
距離は、僕から30メートル以上離れているし、木の塀に隔てられていた。
ベッドに坐っていると、突然、地上の火が僕の前まで近寄ってきて、あぶりだしたような感じを受けた。
しばらくして消えたが、体中がとても熱くなった。
今の、火であぶられるような状態は、以前の帽子をかぶったような圧力感とは違っていた。
両方の眼に、涙が一杯溜っていた。
以前は、他の人ができたように、僕も、河車が回せると思った。
実際は、そうならず、今朝も気は動き出したのに、手の指先と湧泉に達して止まった。
ーーーーーーーー引用ここまでーーーーーーーーー
いかがだろうか。
さすが、仙道の本場の若い人だけあって、気の感覚化の素質がすばらしいと思えてならない。
かれらにとって、気とは、「気のせい」の気ではなく、「液体や電気のようにはっきり感じられるエネルギー的物質」なのだ。

これは、ひとえに食生活の違いではないかと思う。
それすなわち、日本にはない、漢方食養法が、生活に溶け込んでいるからだとさえ思ってしまう。
この点はいずれ、地丹法として記事にしたいと思う。

今回の引用部分で、個人的に注目するポイントは、快感が発生する前にイチモツに発生する「痒み」だ。
これは、私も経験したのでよくわかる、苦笑。
なぜか、そのあたりがむず痒くなる。
もちろん、変な病気をもらったわけではない、笑。
そんな心あたりなど全くないのだから。

つまり、あるていど(イチモツの感覚神経が微弱な電流で感電するくらい)にまで、陽気が集中して強化されたということなのだ。
それは、陽気が練れて強化された結果、単なる熱感を越え、電気的、液体的な感覚を伴うようになった状態ともいえる。


というわけで、また次回。

追伸
あと、ちょっと気になったのだが。
3月26日の日記の、「妙ちくりんでしかたがない」の少し前の文面。
「台湾の学生の男女交際って進んでるんですかね」
進んでいると言ったって、この記事が投稿された時代は、日本では昭和40年代らしいけど、、汗。

posted by ポンタ at 23:31 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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