2017年06月03日

夢見の行を実践するその2

少々、間が空いてしまったが、夢見実践法の2回目の記事である。

第一段階
*身体を意識的にリラックスできるようにする訓練
自律訓練法や、ヨガのリラックス法など、使いやすいものを行い、あお向けになったままのリラックスが完全に行えるように練習する。

*眠りと覚醒をコントロールする
リラックスができるようになった後、肉体と意識を切り離す練習を行う。
これにより「肉体は睡眠状態のまま、意識は目覚めている」という状態に移行できるようになる。

コツは、意識を小さくして、身体の一部分に移動させるか、体外に移すことだ。
通常、我々の意識は肉体と同じような大きさになったまま、なんとなく肉体と重なっている。
このままでは、肉体が眠ると意識も連動して眠ってしまうのだが、意識だけを小さく集中させ、身体と分離させる訓練を行うと、あら不思議な体験をするようになる。

高藤氏は、「あお向けの姿勢の場合、頭あるいは足から1メートルくらい離した上方に意識を置くのが良い」と言い、チベット密教の夢見法ではノドに意識を集中させろという。

具体的な書名は忘れたが、蹟見 冠という著者の本に、透視能力の訓練中に地鳴りのような音が聞こえたと思ったら、自分のいびきの音だったという体験談がある。

この著者の訓練法は仰向けになったまま、暗示テープを聞きながら深い瞑想に入っていくというものなので、まさに、肉体は睡眠状態になったまま、テープの音に集中していた意識のみが覚醒していたのだと推測できる。
(ちなみに、蹟見 冠氏の著作はアマゾンでは結構なプレミア価格となっている、苦笑)

私の場合も同様で、夢見の修行中に「ゴー」という地鳴りのような音が耳元で聞こえて、「うるさいな集中できないじゃないか」と思っていたら、それが自分のいびきの音だったという体験がある。

次の第二段階は夢の中に意識を持ち込む、あるいは夢の中で意識を取り戻す方法となる。
今回はここまでとする。

posted by ポンタ at 19:39 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2017年02月08日

まさか、こんなことが

先日、いつものように内功(坐って全身に気を巡らす行)を行っていた。
気持ちの良い静電気に包まれたようで、意識が深まるに従い、まるで電圧が高まるように全身が気持ちよく痺れていった。
やがて性器の周辺に性的な快感が発生し、たとえようもない多幸感を感じていたら、涙が出てきた。

別に、多幸感と言ってもうれし涙が出るほど、何かが嬉しいと感じていたわけでもない。
もちろん悲しいことがあったわけでもない。
自分が提唱する内功は、姿勢は瞑想と同じでも、何かを視覚化したり思い出したり考えたりするようなことはしない。
むしろ、無念無想の禅に近いのだ。
だから、このときも、とりたてて何も考えていることもなく、ただ、感覚だけに身を任せていた。

「なんとまあ、人間の感情とは不思議なものだな」と思っていたら、昔読んだカルロスカスタネダの一節がフラッシュバックのように思い出された。

ちょっと引用してみる。
ーーー「呪師になる」より引用ここからーーーーーー
それは、わたしにとって全く新しい感覚だった。
思考が停止したような感じがした。
幸せだった。
健康な感じがした。
情熱がとても静かにゆきわたって、わたしのなかに充満した。
そよ風が西から吹き、からだ全体をなでてゆき、寒さもなかった。
ぬるま湯のしずかな波が、わたしのからだに寄せては引き、また寄せてくるように、顔と耳のあたりにそよ風を感じた。
自分のあわただしく、混乱した生活には比べるものもない、不思議な状態だった。
わたしは思わず泣いてしまった。
それは悲しさとか自分への哀れみからではなく、言いようも、説明のしようもない喜びのせいだった。

わたしは、永遠にそこにいたかった、、、、
ーーーーーーーーー引用ここまでーーーーーーーーーーーーー

カスタネダは、生命エネルギーが身体に流れる感覚を、風や、そよ風に例えているが、インディアンの呪術においても、生命エネルギーを使って、このように自己ヒーリングに用いることがあるのだろう。
まさに、自分の体験した状態を美しく詩的に表現したらこのようになるのだろうなと思った。

ちなみに、カスタネダはこの後、師であるドンファンより、「おい、もう十分休んだぞ」と、引き起こされてしまうのだが、、。
posted by ポンタ at 21:25 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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