2016年10月12日

仙道と快感の関係(夢の中で仙女と会う?)前編

高藤聡一郎氏の学研から出版された著作シリーズ中、個人的に最も評価している著作「仙道錬金術房中の法」の中に、氏が夢の中で仙女に会い、体交法(いわゆる普通のセ○クスの事)を行ったという記述がある。

その時の快感の描写である。
ーーーーーーーーーー引用ここからーーーー
最高のエクスタシーに達するが、ただし、時間は永遠とも思えるくらい長く続くのだ。
だが、精は漏れず、翌日は気を回し合った時より、さらに充実した感じになった。
実に不思議に思ったものだ。
ーーーーーーーー引用ここまでーーーーーーーーー
普通の肉体ではない状態(体外離脱中)でのセ○クスの快感についての描写は、ロバート・モンロー氏も著作で報告している。
「耐えがたいほどのエクスタシーが続く。これに比べれば通常の性行為のエクスタシーは影のようなものだ」という。

ロバート・モンロー氏の体外離脱は、仰向けに寝た姿勢から行うモノなので、ある意味、覚醒夢と言えなくもないのではないかと、個人的には考えている。

普通の健康な男が、もし、「願いがなんでも叶う空間に存在できたら」何を願うだろうか。
言うまでもない。
そのような男としての当たり前の無意識から発する欲望が、上のような体験を生みだすのだろう。

だが、個人的には、夢の世界(リアルなので異空間と呼んでもいい)で女性と行為をしたいとは、現段階では思っていない。

次回、中編では、この行の危険性について書こうと思う。

そして、今から予告するが、最後の後編では、氏が昔、とある男性誌に投稿した「夢の中で女性を抱ける。夢のドリームコントロール」なる作品?に対して書こうと思う。


次回投稿の後編に続く。

posted by ポンタ at 20:28 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2016年10月11日

瞑想と快感の関係その2

前回は、チベット密教の観相法が、ズバリ快感を発生させ、コントロールしていく行法なのだというような内容を書いた。
しかし、自分で読み返してもわかりにくく、さっぱり意味がわからない。
文章を書く能力も、行法の程度もたいしたものではない、自分の浅学非才ゆえだ。
申し訳ない。

チベット密教の瞑想法を解説した本の中にも、「性的な快感を利用した瞑想法もあります」と明記してある本もある。
具体的なやり方は書かれていないが、笑。

さて、チベット密教の快感発生法(笑)は、もっぱら自分の生命エネルギーを使う。
生命エネルギーすなわち、精力といっていい。
つまり、精力が枯渇している老人や、身体が弱くて精力が消耗している人は、あまり効果は無いと言える。
この点においては、地丹法(食養法、漢方療法、強精法)を修行体系に含む仙道の方がとっつきやすいと言える。
ただし、仙道でいうところの動功法に相当する行法は、チベット密教にも「トンラ」という名称で存在する。

仙道における、動功法は一般的な「気功」として、巷にあふれているし(いわゆる気功体操)、静功法(小周天)は気功法の本の最後にもったいぶって書かれている。
地丹法はというと、これは多くの場合秘伝だ。

対して、チベット密教では、トンラも観相行も秘伝だ。
そもそも、性エネルギーをコントロールするような奥深い観相法は、滅多なことでは伝授されないとある。
本で公開されてあったとしても、師伝でなければ効果は無いとある。
また、お目当ての快感瞑想(笑)を行う前に、前行と称する煩雑な行法をえんえんと何万回も行わなければならないともある。

これはある意味、チベット密教のラマの権威維持のために、上の段階の行法を教えないという言い訳にも聞こえてしまう。
そういった風潮は、チベットと日本くらいで、他の国(中国や、アメリカ)では、かなりルールもゆるんでいるらしい。

今日も取りとめのない駄文になってしまった。
また次回。
posted by ポンタ at 23:23 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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