2016年09月28日

仙道と快感の関係(その5)個人的な体験談

さて、このシリーズ中、一番面白くない(笑)記事になるだろうが、今回は個人的な体験談を書いてみたい。

私が中国仙道の実践を開始したのは、以前にも書いたとおり、高校生2年の頃であった。
だから、性欲満々だったし、精力もそれなり?にあったし、学生と言う時間的にも恵まれた環境だった。
にもかかわらず、修行はちっとも進歩しなかった。

基本の呼吸法である武息を行っても腹のあたりが痛くなるばかりで、一向に熱が発生しなかった。
熱が発生しないから、なおさらめいいっぱい力を込めて武息を行う→さらに腹が痛くなるの悪循環をくりかえしていた。
結局、高校生のうちは、陽気発生まで行けずじまいだった。
(後でわかったことだが、修行のやり方に重大な見落としがあったのだ)
高校を出てから、生活環境が激変し、優雅なプライベート空間で一人で静坐を行うことができなくなり、修行の空白時間が空く。

ある時、ふと、高藤氏の著作にあった言葉「腹も裂けよとばかりに力を入れても陽気が発生しない場合は、むしろ力を抜いて、軽い気持ちで仙道修行を行うとよい」という文章をみつけ、その通りやってみた。
すると、いきなりミケン(印堂という場所)のあたりに静電気のようなものが発生し、意識をゆるくかけるとそれはゆっくり身体の前面を降りてきて丹田に入った。

「はて、これはいったい何?」と思ったが、その静電気のようなものは丹田に入ると熱感になった。
ということは、「これは、陽気だったのか。これが気なのか」
これにより、いきなり?小周天の半分ができたことを理解した。
へんちくりんな始まりであった。

続きは次回。


posted by ポンタ at 19:11 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2016年09月26日

仙道と快感の関係(その4)「仙人になる法」に載っていた体験談の続き

高藤聡一郎著「仙人入門」の後半に載っていた、台湾の学生による小周天修行の体験談の最終回である。

ーーーーーーーー引用ここからーーーーーーーーー
3月24日
午前中、3時間目と4時間目(学校の授業時間)に気を黄庭に引き入れたところ、ひどい目にあった。
誰か、こっそりと僕を助けてくれないかとさえ思った。

3月26日
午後、静坐を始めた。
初め、気は湧泉と手の指先に達した。突然イチモツがムズ痒くなり、やたらいい気持になった。
まるで、イチモツを挿入しているようで、妙ちくりんでしかたなかった。
何度も失神しそうになり、とてもコントロールできない。
ただ、丹田から意識を外さないでいたら、なんとか射精にはいたらなかった。
でも、とてもワンダフルだ。
初め、熱の塊りはコウガンの中を動き回り、イチモツは時に聳え、時に倒れ、10数回出ようか出まいか争ったのち、ようやくおとなしくなった。
暖かい気の塊りはコウガンより流れ出し、会陰のところから左右の腿に入った。
左腿の方が、流れたのが多く、右腿は、わりにすくなかった。
長いこと散らないので、僕は、ずっと丹田に意識をかけていたのを、ちょっと会陰の方にかけてみた。
熱気が流れてきている場所のせいか、細胞が踊っているようだ。
気分のいいことこのうえない。

3月27日
夕方、弟が焚き火をした。
距離は、僕から30メートル以上離れているし、木の塀に隔てられていた。
ベッドに坐っていると、突然、地上の火が僕の前まで近寄ってきて、あぶりだしたような感じを受けた。
しばらくして消えたが、体中がとても熱くなった。
今の、火であぶられるような状態は、以前の帽子をかぶったような圧力感とは違っていた。
両方の眼に、涙が一杯溜っていた。
以前は、他の人ができたように、僕も、河車が回せると思った。
実際は、そうならず、今朝も気は動き出したのに、手の指先と湧泉に達して止まった。
ーーーーーーーー引用ここまでーーーーーーーーー
いかがだろうか。
さすが、仙道の本場の若い人だけあって、気の感覚化の素質がすばらしいと思えてならない。
かれらにとって、気とは、「気のせい」の気ではなく、「液体や電気のようにはっきり感じられるエネルギー的物質」なのだ。

これは、ひとえに食生活の違いではないかと思う。
それすなわち、日本にはない、漢方食養法が、生活に溶け込んでいるからだとさえ思ってしまう。
この点はいずれ、地丹法として記事にしたいと思う。

今回の引用部分で、個人的に注目するポイントは、快感が発生する前にイチモツに発生する「痒み」だ。
これは、私も経験したのでよくわかる、苦笑。
なぜか、そのあたりがむず痒くなる。
もちろん、変な病気をもらったわけではない、笑。
そんな心あたりなど全くないのだから。

つまり、あるていど(イチモツの感覚神経が微弱な電流で感電するくらい)にまで、陽気が集中して強化されたということなのだ。
それは、陽気が練れて強化された結果、単なる熱感を越え、電気的、液体的な感覚を伴うようになった状態ともいえる。


というわけで、また次回。

追伸
あと、ちょっと気になったのだが。
3月26日の日記の、「妙ちくりんでしかたがない」の少し前の文面。
「台湾の学生の男女交際って進んでるんですかね」
進んでいると言ったって、この記事が投稿された時代は、日本では昭和40年代らしいけど、、汗。

posted by ポンタ at 23:31 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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