2016年10月09日

仙道と快感の関係(その8)個人的な体験談4

長年のブランクを経て、ある事件をきっかけとして仙道修行を再開した。

もうすっかり、陽気の感覚も忘れ、小周天ルートも詰まってしまったかと思いきや、そんなことはなかた。
なぜかはわからないが、以前より陽気の熱感がいきなり強い。
いきなり陽気を一周回せてしまった。

たしかに、一度陽気の感覚を体得すれば、静坐をしていないときにも、日常の何気ない動作中に身体のあちこちで気感を得ることはあった。
そういった感覚はすなはち、無意識のうちに気を練っていたということなのかもしれない。

そんなこんなで、毎日帰宅しては気を回していた。
すると、小周天ができなくなった。
どういうことかというと、陽気を発生させるとほぼ同時に頭頂にも気を感じ、小周天のルートではなく身体全体が一本の気のルート?になってしまった。
しかし、高藤本やその他HPなどの体験談にあるような、華々しい(笑)、あるいは派手な気の上昇や爆発があったわけでもなんでもない。
あるとき自然にそうなったのだ。

以後は、小周天をやろうとすると、わざわざ気を細く縮小させて部分的にだけ感覚を使って行わねばならなず、めんどいので、もっぱら太い気を身体全体にいきわたらせるだけの行に切り替えた。
(体調が悪い時や、精を漏らしてしまった翌日は、昔のような細い気の流れになってしまい、いつもの小周天が行えることにも気付いた、苦笑)

このやり方をやって1〜2カ月くらいたった頃、頭頂の気がムズムズモゾモゾする感覚から、ビリビリと静電気に感電するような感覚になった。
今度は、その電気?のようなものを身体の前面から丹田に下ろして集め、温養するということをずっとやっていた。
やがて、身体全体は内部は磁力がかかったように中心に向かって引き込まれるように感じ、身体の周りは静電気で包まれているように感じ、うっとりしてきた。
いやなことは、何一つ浮かんでこないし、息を止めても苦しくならない。
(息を止めているのは、怖くなったのでしばらくしてやめた)

この感覚は眼を開けても消えなかった。
やがて困ったことが発生した。
イチモツの先端が電気で痺れたようになり、ピクピクと収縮を繰り返すのだ。
やがって勝手に起立しだした。
「これでは集中できないじゃないか。どうなっているんだ?何かおかしくなったのか」
と、当初は心配してしまった、苦笑。
こんなヘンテコリンな感覚が身体に発生してしまうと、やっぱり、心配になってしまう。

この時点で、いろんな仙道書を引っ張り出して読み返していくうちに、「なるほど、これは、気感がここまで強くなったのだ」と、やっと納得した。
読んでいくだけの時は、見逃していたり見落としている内容が沢山あり、体験して体得する内容は、その都度原点に立ち返ることが必要なのだと知った。

ここから、行の最中はイチモツの収縮と起立に悩まされることになる(笑)
が、それも一週間くらいのことで、やがてイチモツは起立しなくなった。
起立はしないが、なにやら先端からむずがゆい。
(変な病気か?とも思ったが、身に覚えは全くない)
やがてそのむずがゆさは、「ああ、これは快感が発生するときの前兆なのだ」と理解できた。
思った通り、イチモツの先端から発生したむずがゆさは快感となり、やがて身体全体に広がった。

この状態で発生する快感は、ネットでよく見かける「エナジーオーガズム」とはことなり、PC筋の収縮は必要ないし、深呼吸も必要ない。
必要なのは、陽気を強化し練ることと意識の集中だ。
そして、この快感は通常のものとは異なり、途切れることなくつながっている。
まるで、うねるように強い快感と弱い快感が交互に継続していく。
体調の悪い時はうまくできない。
(生体エネルギーを使っているのだから、これが当然で。いつでもどこでもできるとしたら病気だ、笑)


さあ、拙いヘボ仙道の体験談はこれで終わりにしよう。
次からは、仙道以外で、瞑想オーガズムの話題を取り扱う。
posted by ポンタ at 10:22 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2016年10月08日

仙道と快感の関係(その7)個人的な体験談3

前回の記事は、やっとこさっとこ小周天がつながった話題であった。
今回はその続きとなる。
とはいえ、今回の記事では、修行の内容は直接出てこない。

小周天が一応回ってから、職場の関係で行の時間が取れなくなり、数年間のブランクとなる。
その間は、仙道を忘れていた。
あまりに、仕事でいっぱいいっぱいで、そのまま人生は進み続けてしまうのだろうと思っていた。

ところが、9年くらいもの長いブランクを経て、ふとしたきっかけで行を再開した。
そのきっかけとは、自動車とニアミスした事件だった。

夕方、近所のスーパーに買い物に出かけた時の事だ。
四つ角の交差点(信号無し)で、自分に向かってきた対向車が突然、ウインカーを出さずに自分の方に曲がってきたのだ。
相手にしてみれば、いつもの道で面倒くさいからウインカーなんて出さずに右折したのだろう。
車が自分の身体ギリギリにまで来たとき、とっさに身体を思い切り前に投げ出し両手をついてから、身体を丸めて回転していた。
何事もなく立ちあがった自分を見て、車の運転手が慌てて降りてきて、「大丈夫ですか!」と聞いてきた。
自分は、「はい、なんともないですよ」と言い、そのまま立ち去った。

後から思い出していた。「これは、中学生のころ部活で柔道部にいた時に練習した。回転受け身じゃないか」
子どもの頃(学生のころ)一所懸命やって身体で覚えたことは、忘れないものなのだと思い、なぜか涙が出てきた。

一生懸命覚えたことは、無駄にはならない。
柔道がそうだったように、仙道もしかり。
「また、やってみよう。仙道を」

自分にとって、仙道は(仙人を目指す事は)まだ、生活にも人生にも余裕があった頃の、楽しくわすれがたい宝物なのだから。

そうしてまた、忙しすぎる仕事の合間をぬって、修行を再開することになる。

今回こそ、つまらない記事で申し訳ないです。

posted by ポンタ at 21:29 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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